2011東北ツーリング5日目 9/23(金)

盛岡で2連泊して、今日は再び海沿いを南下します。

今日は朝から青空で、やっと良い天気になりました。


豪雨の中何度も走ったR106も、良い天気だとなんと素敵な道なのでしょう(笑)


川の様子は、だいぶ水量が減り、色も薄くなってきました。


台風の爪痕か?あちこちに法面土砂崩れの補修中で片側通行のところがありました。


R105は、箱庭のような風景の中を、JR山田線に沿って走って行きます。




雨の中見つけられなかった腹帯駅。集落の中にポツンとありました。




「おみゃ~このあたりじゃ見にゃ~顔だにゃ~」(笑)


宮古市街地に着きました。


信号待ちをしている時、街路樹の方を見やると、なにやら変な形のものが落ちています。



なだこれ?実かな?

街路樹に、沢山の赤い実がなっていました。
なんという木なんだろ?


宮古市街地からR45を南下します。
市街地は低地の木造住宅は無くなってしまっていて、その跡に雑草が生い茂っていました。


山田町のローソンでコーヒーブレイク。


店でいれているカフェオレを頂きました。
書籍のコーナーに、宮古市の津波被害を綴った冊子があったので買いました。


ローソンのカフェオレ、チュ~っと飲んだらすぐに無くなってしまいました・・・
Lサイズ頼んだのに、そりゃねーよと見てみると・・・

氷がミッリチ詰まっています。これじゃすぐに無くなってしまう訳ですね(笑)

そこで・・・

コーヒーおかわりです(笑)

山田町の市街地は、木造家屋は殆ど流され、土台だけが残っています。




打ち上げられた船がそのままになってたりして・・・


穏やかなお天気で、海が綺麗でした。


大槌町の様子。



街のはずれに、うず高く積み上げられた瓦礫の山。
あたりのたくさんの集落で目にした光景でした。

営業を再開していたガソリンスタンド。頑張ってください!



津波の爪痕が生々しく残っています。

なぁ~んもない・・・

ここにあったはずの街が、暮らしが、すべて流されて無くなりました。

釜石市街地にやってきました。

点灯している信号機を見ると、ホッとします・・・

片付けが進んでいるようですが・・・




あの日のままのところも残っています・・・


ここも市街地のはずれが瓦礫置場になっていて、瓦礫の山がいくつも積み上げられていました。


ここにも集落はあったのでしょうか?


"荒川"という集落のようです。

荒川区民としては、親しみのある地名です。

大船渡だったかな?海沿いの市街地は更地になってしまっています。


陸前高田に着ました。
鉄骨の建物だけが残っています。


街の至る所に瓦礫の山がありました。


奇跡の一本松。
木の傷みが進行しているようですが、なんとかしっかりと根付いて欲しいものです。


川原にはいまだに瓦礫が散乱したままでした。


陸前高田を経て、宮城県気仙沼に向います。


気仙沼市は、GWにボランティア活動したところ。

その後、どうなっているのか気になっていたので見に行ってみるとこにしました。

鹿折唐桑駅の近くにて。

打ち上げられた大きな船は、そのまま残されています。
どうやって撤去するんだろ・・・

観光客船が発着する埠頭。
すぐ背後は、気仙沼の中心街です。

港は地盤沈下のせいか?水面が埠頭の縁石ぎりぎりまで迫っていました。
観光客船が何系統か営業を再開しているようでしたが・・・
はたしてお客さんはいるのかな?

鉄骨の建造物が残っている気仙沼の中心街。

この一角は、GW当時には立ち入りが規制されていて入れませんでした。

舗装は流されてしまったのか?それとも、アスファルトの上に土砂が乗ったままなのか?土の路面が剥き出しになていました。

木造ではない建物は、外形こそ残っていますが、人の気配のある建物はありませんでした。




中心街を南気仙沼方面に向かいます。このあたりも路面は土が剥き出しです。

台風の直後だからか?地盤の低そうな所には水が溜まり、池のようになっている所がたくさんありました。

気仙沼大橋を渡り、GWに活動した一角を見に行きます。


GWには瓦礫に埋もれていたこの川も、土手も、綺麗になっていました。


活動拠点だった、南気仙沼小学校は、廃車が積み上げられていました。

沢山のボランティアが泥を掻き、綺麗にした校舎でしたが、はたして学校としては機能しているのでしょうか?

夥しい数の車や家が漂着していた川。

GW当時、土手は瓦礫や流された車などで埋まっていました。
それでも土手の桜が咲いているのを見て、非常に感慨深かったのを思い出しました。

誰かがボソっと言いました。「瓦礫に花を咲かせましょう!」

その瓦礫ももうすっかり片づけられていました。


GWに活動した一週間のうち、初日に派遣された中谷地公園。


懐かしい思い出の地です。

ここで活動していた時に、少し離れたところからおばあさんが深々と我々に向かって頭を下げ、何度も何度もありがとうと言っていたっけな。

かつてこのあたりで活動した時に、泥で汚れたスコップやネコ、合羽や手袋を洗った水道(笑)

当時は、沢山のボランティアがここに行列を作って作業後の洗い物をしていました。

気仙沼を後にして、南三陸町に向かいます。

良い天気になりました♪

を!やってるやってる!
どこかのボランティア団体が活動していました。

お疲れ様です。頑張ってくださいね!

南三陸町災害ボランティアセンター。


キャンパーなボランティアさんたちの為のテント村もまだありました。


南三陸町の中心街。さかなのみうらさんの店舗に行こうと思ったのだけど・・・

地盤沈下のせいで浸水してしまっていて、近づけませんでした・・・

4階の高さまで津波が襲った志津川病院。
建物の前には瓦礫が積み上げられていました。

この地ではもう再開しないことになったのかな?

7月に支援物資デリバリのお手伝いをした さかなのみうら さん、移転して新装開店準備中です!

頑張って下さい!

南三陸町を経て、R45をさらに進みます。


陸前横山にて、北上町方面に向かうr64に入ります。


追分温泉の看板がありました。


r64は、登米市と石巻市の境界尾根を超えて行く峠道です。


細くて険しい、なかなか走り応えのある峠道でした。


峠を登り詰めると、山の中の一軒宿、追分温泉がありました。


追分温泉は、旅館の設備を避難所として解放し被災者を受け入れていました。
一般の宿泊客の受け入れは、まだ再開していません。

こちらの御主人は、地域の復興に精力的に立ち回っていて、GWには、この山のすぐ下のお宅で我々のボランティアチームと一緒に泥カキをしたりしていました。
もう少し落ち着いたら、是非のんびり泊りがけで行ってみたいと思います。

その御主人と一緒に泥カキしたお宅のあたり・・・道が水没していて先に進めません。

これは、台風の影響で水没しているのかな?それとも、地盤沈下でこうなっちゃっているのかな・・・

あ!あのお宅だ!
追分温泉の御主人と一緒にドロ掻きしたお宅を見つけました。

皆さんお元気にしているかな?あのときは、大変な状況の中、アイスやみそ汁を我々ボランティアに振る舞って下さいました。本当に有難うございました。

北上川はゆったり静かに流れていました。

こんなところまで津波が来るとは、誰が予測し得たでしょう?

のんびりしていたら、陽が陰ってきてしまいました。
北上川の土手を走り抜け、R45に突き当たったら仙台方面に向かいます。


途中、東松島市で、GWに活動したあたりを見て行くことに。


東松島市災害ボランティアセンターの支所があった、大曲公民館。

GWには、この付近の個人宅で活動しました。
床板を剥し、縁の下の泥をだし、水を吸ってふやけてしまった壁を剥し・・・

2日がかりの作業をしたお宅がありました。
御主人もお子さんも、我々ボランティアと一緒に、泥だらけになって作業しました。
「希望の光が見えました!」そう仰っていた御主人でしたが・・・
そのお宅の一角は、誰も住む人も無く、建物が治っているでもなく・・・
駐車場には、車内に泥が堆積したままになっていた車が、GWの時と同じく放置されたままになっていました。
そのお宅のある区画は、どこのお宅にも電気が通っている様子もありませんでした。

どうしたんだろ?
居住の許可とかが下りないのかな?(そんあるのか?)
隣接した一角は、家に明かりが灯り、人の暮らしの気配がしましたが・・・
きっと、いろいろな御事情があるのでしょう・・・
そんなこんなんで、複雑な思いで、東松島を後にしました。

あとは一路仙台へ。

三陸道の渋滞には辟易しましたが、なんとか夕飯の時間帯に仙台に辿り着きました。

今宵の宿は、駐輪場が無いというので、チェックインして荷物を降ろしてから、公共の地下駐輪場にバイクを停めに行きました。

その帰りに、味の太助分店によって、牛タンを食べました。



太助の牛タンは初めてでしたが、とても美味しかったな♪

広瀬通りの繁華街を少しぶらついて、ホテルに戻ってすぐに寝てしまいました(笑)

続き(9/24分)はこちら

<走行距離 383.3km/1997.4km>