一昨年去年と立て続けに父母を看取り、いろいろとやるべきことを終えてひと息ついて、これから自分のために時間が使えるようになった。
「元気なうちにもう一度大型バイクに乗る」という願望は、中古で格安のBMWをゲットして実現させた。
よし、あとは北海道に行くだけだ!
大型バイクで北海道に行くのは40数年ぶりになる。
今回は、今までより若干1日の距離を短めにして、バンガロー泊と、いくつか気になっていた鄙び系の温泉旅館に泊まり歩くというルートを組んでみた。
ああ、楽しみだな~(笑)
諸々のやるべきことを終えたのがGWの直後だったので、5月の後半に北海道に行けちゃうかも?とアタフタ準備を始める。
2026/05/15(金) 15:00 自宅出発
いつもの首都高入口からスタートです。
高速道路を走ると、BMWの「らしさ」が一段と引き立ってくるような気がする。
オンザレール感覚というのは、こいつのためにある言葉ではなかろうか?って思うほど、走行ラインはビタッと安定して、制限速度+@くらいの速度域なら何の不安もなく走れる。
さすがアウトバーンの国で生まれ育ち、鍛え抜かれたブランドだけのことはある。
ここ10数年来、200ccのOFF車で東北道一気走りしていたことを考えると、快適性、安定性は雲泥の差と言っても良いだろう。
真夏の間は、効果がありすぎるカウルの内側が、走行風が当たらず灼熱地獄になってしまうのだけど、流石に5月の中旬は暑いこともなく、快適そのものの温度感でサクサクと距離を稼いで進む。
給油と小休止の為に、安達太良SAにピットイン。
東北道の、制限速度120km区間で、キッチリ制限速度+@で走り抜けたら、それなりの良いタイムでした。
燃料計が不調で、でたらめなバー表示するので、ここからしっかりと距離と給油量を記録して、走行可能距離/次回給油までの距離をしっかり把握できるようにしておきたい。
そんなんで、給油量/トリップ距離をメモしながら走ろう。
ショップエリアに行き、酪王カフェオレソフトを食べる。
これは、とっても美味しいんだよね(笑)
ついでに、酪王カフェオレも飲んでおこう。
酪王は美味しいな(笑) 栃木/福島方面に行くときには飲んでおきたい逸品です(笑)
トイレを済ませ、さて出発。
そうそう、まだ付き合いの短いバイクだし、エンジンオイルが減っていないか?どのくらいの距離でどのくらい減るか?しっかりデータを取っておきたかったので、出発前にオイルチェックをすることに。
BMWのオイルヘッドのボクサーエンジンは、クランクケース左側の下部にエンジンオイル点検窓がある。
バイクを直立させ、かがみ込んだ状態で覗き込まねばならないので、普段ならセンスタ掛けて点検していたのだけど・・・・
この日に限って、はやる気持ちを抑えきれず、サイドスタンドからバイクを起こして直立させた状態でやってしまった。
荷物の重さもあり、ちょっとバランスを崩したら、あっと言う間に反対側にバイクを倒してしまったのだ・・・
やばい、まいったな・・・
周りにギャラリーもたくさんいるし(恥)
パニアやトップケースを外してから引き起こししようかとも思ったのだけど、まぁ、大丈夫だろうとタカをくくって右側から引き起こしに取り掛かる。
ん”~~重いぞ(汗)
ヤバい・・・起きないぞ(慌)
慌ててスタンスを広げて、最大級の力を込めたら・・・
ビシッ!!!
右足首あたりから、異音を伴う衝撃があった。
当初は、足首でも脱臼したか?なんて思ったんだけど、足首は回せるので、関節ではないな。
損傷箇所を特定すべく、つま先立ちを試みたが、出来ない。
これは、アキレス腱切断だ・・・参ったな・・・
さてどうしたものかと、思案にくれる。
先ずは、バイクを起こさなきゃと、何度かチャレンジするも、どうあがいても片足では無理。
そうこうしていると、黒スラックスに白ワイシャツ姿の兄貴が駆け寄ってきて、手を貸してくださった。
おそらく、オレの慌てふためきんの一部始終を見ていた観光バスの運転手さん(きっとバイク乗り)だったのではないかと思っている。
有難うございましたと言ってみたものの、ちゃんとした礼を伝える間もなく、件の兄貴はさっさとショップの方に行ってしまった・・・
さて・・・これからどうしよう。
バイクの損傷箇所を確認すると、右バンクのシリンダヘッドカバーガードが割れてしまっていたが、レバーやミラー、それにカウル類の損傷はなく、とりあえず走るのには支障はなさそう。
以前、舗装林道で、グレーチングからはみ出したぬかるみにハマってスッテンコロリンしたことがあったのだけど、その時も損傷箇所がなく、問題なく走って帰ってこられたのだ。
そういう意味では、このバイクは、なかなか頑丈で無骨なタフガイなのかもしれない(笑)
バイクに跨ってみると、負傷した右足は、つま先を下に動かせず、リヤブレーキは掛けられない。だけど、踵を地面に着ければバイクを支えることだけはなんとか出来そうだ。
そういうことなら、このまま北海道ツーをこなして、東京に戻ってから通院しようかな?なんてアホなことを一瞬本気で考えた。
こんな事を考えているときに、ずっと昔にフェリー乗り場で見かけた、「杖をついた1100刀乗り」のことを思い出していた。
その刀乗りは、荷物満載の1100刀でフェリーの乗船待機所に表れた。
満載荷物の脇に釣り竿みたいなのがあったので、釣りキャンプでもするのかな?それも面白そうだななんて一瞬思ったのだけど、バイクを停めると、バイクに跨ったまま振り返って、竿状ものを荷物から抜き出した。
よく見ると、それは、前腕部の支えのあるタイプの一本杖が2本だった。
バイクから降りるときには両腕に杖を持ち、やっと歩けているという、両足ともに障害をお持ちの方だったのだ。
すごいな・・・絶対バイクに乗る!という執念とでも言おうか。
でも、あの様子では、バイク倒したら起こせないよな?どうするつもりなんだろ?
なんて、かなり驚いたことを思い出していた。
さて、これからどうしよう?救急車を呼ぼうかとも思ったのだけど、バイクに乗って移動することは出来そうだったので、検索したいくつかの救急対応病院にTELして受傷の様子を伝え、受け入れて貰えるか問合せてみた。
その結果、「今夜は整形外科医が居ないので無理」「バイク駐輪場が無いので、徒歩10分ほど離れた駐輪場に停めて歩いてきて下さい」(いや、現状歩くのは無理なんだわ)、などなど、ことごとくお断りされてしまった。
しょうがないので、一旦ガソリン入れて、東京に向うことにする。
道中、再びバイクを倒してしまったりして詰んだら、そのときに救急車呼べばいいか・・・と。
そんなこんなで安達太良SAを出発し、二本松ICで一旦高速を降り、東京方面に入り直す。
後はただひたすら東京を目指し、車間距離に気をつけて走り続ける。
しばらくすると、ふくらはぎが腫れてきたのか?ズボンの膝から下がパンパンに張ってきている。
怪我の痛みは、直接の受傷部位であるアキレス腱のあたりより、ふくらはぎ部分が攣ったような痛みがずっと続いている。
ここのまま一気に東京まで走ってしまおうかとも思ったが、腹も減ってきたので、佐野SAで佐野ラーメンでも食べて帰ることにした。
右足は踵を地面に着くだけしか出来ないので、ふくらはぎ部が伸び縮みしないよう、つま先を思い切り外に向けてヨタヨタ、ノロノロ歩いてフードコートへ。
そんなこんなで、やっとの思いでありついた佐野ラーメンは、しみじみと美味かった。
ラーメンを食べ終えて、再びバイクに跨り都内へ向う。
時刻は20時をちょっと過ぎた頃で、夕方の渋滞はなんとか回避でき、無事自宅に帰り着いた。
早速着替えて、整形外科の救急外来に向う。
この頃には、受傷した右足のふくらはぎはパンパンに腫れていて、腿と同じくらいの太さになっていた。
レントゲンを撮り、めでたくアキレス腱断裂の診断を頂戴し、暫定処置でギプスシーネを当ててもらい帰宅した。
ああ、どうしてこんな事になっちまったんだろう・・・(泣)
自動二輪で大きな怪我をしたのは、これが初めてではない。
ベッドに横たわったが、いろいろなことが頭の中を巡り、なんとなく眠れぬ夜を過ごした。
そして、19歳の時の上高地でやらかした単独事故を思い出していた。
=== 以下 回想シーン ===
1981年6月の上旬だった。
当時乗っていたCB400Nで、上高地に行ってみようと思い立ち、休前日の勤務を終え、業後に出発。夜中のうちに国道17号線→18号線と進み、松本に至る。
あの頃の上高地は、ハイシーズンのみ自家用車の立ち入りが規制されていて、6月上旬はまだ自分の運転で自分のバイクで上高地まで行けたのだ。
難所である釜トンネル、今でこそ新しいトンネルが出来て走りやすくなったようだけど、当時は狭隘で急勾配、バスの屋根がこするのではないかってくらい。こりゃぁかなりやべぇトンネルだぞ!と、ビビりながら登っていった。
なんとか無事に上高地に到着し、ひと息ついてから帰路につく。
下りの釜トンネルで、急坂を下っていったところで、浮き砂に足元すくわれてバランスを崩し、トンネルの側壁に激突、転倒・・・
バイクはゴロゴロ転がり、滑りながらトンネル内の急な下り坂を転げ落ちていった。
アスファルトに叩きつけられたヲレは、倒れたまま暫く身体を動かすことが出来なかった。
少し離れたところで横たわったバイクから、ガソリンが漏れているのが見える。
これは、離れないとヤバいな・・・
立ち上がろうとしたが、左足に激痛が走りそのまままたへたり込んでしまった。
匍匐前進で、とりあえず外の空気が吸えるトンネル入口のスノーシェッドのところまで避難した。
さて・・・どうしたものか?
まず、身体のダメージをチェックする。
革ツナギを着ていたので、大きな擦り傷は無いようだ。
左足の甲のあたりが激しく痛む。
足を痛めたら、腫れる前にブーツを脱がないと、腫れてからではブーツを切らなきゃならいこともあるという知識があったので、先ずはブーツを脱いでみると・・・
白い靴下の足底部が真っ赤に染まっている。
なんじゃこりゃ~~!(松田優作風に) これ、血だよな?
恐る恐る靴下を脱ぐと、足の裏の皮膚が裂けていて、折れた骨の端部が2本くらい飛び出している・・・
終わった・・・
自力でここから移動し帰宅することは、この時点で諦めた。
しかし、ハイシーズン前の早朝で、通る車も無い。
ヲレは、ここで人生を終えることになるのかな?
まぁ、あたふたしても同仕様もないので、腹をくくって時が過ぎるのを待った。
小一時間?いや、2時間くらい経ってからだったか?
トンネルの奥から、なにやら車が上がってくる音がするぞっ!
近づいてきた音の正体は営林署の作業車だった。
作業員の方が数名車から降りてきて、道路の真ん中で倒れていたバイクを起こして端に寄せてくださった。
さらに、当時はまだ携帯のない時代だったので、トンネルの先の上高地の詰所から電話で救急車呼ぶからここで待っているようにと言い残し、作業車は上高地方面に向かっていった。
それからさらに2時間くらい待ったかな?山のはるか向こうの方からサイレンの音が聞こえてきた。
山襞に沿ってクネクネ道を登ってくるので、音が聞こえたり聞こえなくなったり。到着するまで、ずいぶん長い時間がかかったような気がする。
救急隊員に抱えられ、ストレッチャーに乗り、車中の人となった。
カーブを曲がるたびにつま先が左右に揺れる。そのたびに激痛が走るが、なんとか歯を食いしばって耐えた。
1軒目の病院は受け入れを断られ、ようやく昼少し前に波田という街で2軒目の病院に受け入れて頂いた。
朝5時か6時ころの事故だったので、受傷してからすでに6時間くらい経過していたと思う。
処置室に運ばれて、革ツナギを脱がされるのだけど、そのときに、看護師さんが、ツナギの脚の、向う脛のところを裾の方からハサミで切ろうとしている。
「ちょっとまった!」そんなところ切られたらたまらん!
「横の縫い目のところを切ってもらえば、また縫って着られるでしょう!」
そう伝えると、看護師さんは「ずいぶん冷静な患者さんですことw」と言って苦笑いされたが、結局丁寧に縫い目をメスで切り開いてくださった。お陰様で、あとからリペアに出して、再び着ることが出来ました(笑)ありがとうございました(笑)
処置室で取り敢えず飛び出してる骨を足底内に納め、傷を縫合した。
あとは、ひたすら冷やして、腫れが引いたら手術しましょうと。もし東京に帰りたいなら、腫れが引いたタイミングで帰ってもいいよと。
そんなこんなで、2週間ほど波田の病院に入院し、腫れが引いたところで「あずさ2号」で東京に戻ってきた。
家の近くの、ちょっと名の知れた整形外科専門病院に転院となり、そこからさらに3ヶ月強入院となり、都合、120日程度の入院生活となった。そして、二十歳の誕生日は、この入院期間中に迎えたのだった。
=== 回想シーンおしまい ===
そんなこんなで、今回の旅は終了となってしまった。
いつか必ずリベンジしようと思う。
本日は、0温泉1ソフトクリームでした。
受傷から3ヶ月が経った現在、装具や松葉杖を使わずになんとか歩ける状態にまで回復している。
しかし、右足は可動範囲も力も充分に回復していないので、不自然な足の運びでヨロヨロ歩いている。
いつになったら、再びバイクで旅に出られるかな?
まぁとにかく、今は慌ててもどうにもならないので、しばしリハビリに励むことにします。
本日の走行距離 508km














